届かない声
「今日、2021年1月7日はTVアニメ『廻るまわるよマジカルガール』放送開始からちょうど10周年のメモリアルということで、特別ゲストの方をお呼びしております!人気声優の華斑巫女(はなむらみこ)さん、江戸紫玖珠代(えどむらさきくすよ)さんの御二方です!どうぞ!」
「声優の華斑m──────」
私は吐き気がして、瞬間テレビを消した。
まだ痛む頭を擡げながら時計を見ると、既に正午を回っていたのでとりあえずテレビをつけると、そこには酷く見覚えのある、もう二度と見たくもない顔があった。しかも2つだ。
電化製品の電源は着けた瞬間に消すのが消費電力の一番の無駄なので普段は絶対にしないが、半分寝ている脳味噌に代わって反射神経が英断を降したのだ。
私はまだぼんやりとした頭がえも言われぬ憤慨と嫉妬の混沌で次第にスッキリと覚めていくのを感じた。
そしてまたあの人達から目を逸らした事実に、自己嫌悪の波がおそいかかる。
映った番組は平日のお昼にやっている報道バラエティで、お堅いニュースから流行のファッション、エンターテインメントに至るまで様々なジャンルをピックアップして紹介する人気番組『桐タンポ!』だった。
別に秋田県のローカル番組ということではないが、メインキャスターが桐 甫(きり はじめ)という名前であだ名が「きりたん」だからだそうだ。
最近は近年のとある大きな当たり作品のおかげで、声優がテレビに出ることが以前より格段に増えたし、なんなら今みたいに「〜周年」とかいう理由で出ていたりする時代だ。
「私だって………」
気付けば外は雨が降っているようだった。 とりあえず私はベッドから起きあがり、カーテンを開けて顔を洗った。
洗面台の鏡に映る自分と目が合った。誰だよこんなひどい顔の女。
「これで性格も悪いなんて、こんなやつ干されて当然だよ。」
ここで私は決心が着いたようで、ようやく過去を振り返り始めた。
───私は声優だった。いや、一応今もか。事務所には所属させてもらってる。
10年前の2011年に放送されたデビュー作『ピカこ』が大ヒット。主人公の「ピカこ」を演じたことで爆発的にブレイクするきっかけとなった。そこから作品に恵まれて一気に名が売れ、人気声優として取り上げられるようになった。毎日収録のはしごなんてのは当たり前で、あっちからこっちへスタジオに移動したり、雑誌や情報サイトの取材に追われたりでひっきりなしだった。デビューから2年ほど経った頃、ラジオのお仕事も入ってきた。当時の私は器用に会話を回すことが出来た。それは昔から得意だったのでラジオもそれなりに人気があった。
それこそテレビにもいくつか出演させてもらったこともあった。まだ10代だった私は大変もてはやされた。
毎日が楽しかった。
でも────────────────────。
でも。それは全て過去のことだ。そしてそれを過去にしたのは紛れもなく私だった。私の自業自得だったのだ。
それは2017年放送のTVアニメ『俺とあいつの共鳴寄与体』の放送期間中に起こった。
私はその通称『おれきよ』でメインヒロインの役を勝ち取った。オーディションでは、デビューからお世話になっていた先輩達や勢いづいて脂の乗った後輩達を退け、メインヒロインというたった一輪の花を掴み取ったのだ。
嬉しかったのだろう。誇らしかったのだろう。
あえて綺麗な言葉を選べばきっとそんな感情だったに違いない。ただ、間違ってはいないが確実に別の物だ。だから私は『おれきよ』のウェブラジオで、ゲストの先輩相手にこう口走ってしまった。
「───ほら、私って本当に凄いじゃないですか、大したこともしてないのにずっと大人気!だから後輩達にどんどんアドバイスしてるんですよ、『もっと才能の感じられる声を出せ』って─────」
有り得ないでしょう?有り得ない。でもその時の私はこれの何がおかしいのかわからないほどに天狗になっていたのだ。一度も苦労した時期を経験していないが故の傲慢、不遜だった。
この時のラジオは私の発言の直後の先輩の絶妙な返しでギリギリネタとして成立していると判断され、カットされることなくそのまま配信された。
しかし私の問題発言は、ラジオを聴いたファン達や業界のスタッフ達が違和感を抱くのには十分すぎる発言だったのだ。
それから少しずつ───いや、目に見えて仕事は減っていき、去年はテレビアニメが年に4本、それも継続の仕事ばかりで、その他はソーシャルゲームの収録が3本だった。それでも私を信じてくれる音響監督さん達のおかげでまだ仕事を貰えている方だと思う。
それでも、元々声優の仕事単価は安いので、今やバイトをしなければ生活していけないほどだ。部屋の隅々に、ボロボロになったブランド品のバッグやアクセサリーが転がっている。売れている時に狂ったように買い漁っていた””象徴””にしがみついている醜い証左だった。
私は自己嫌悪から立ち直れはしないものの、冷静な判断力を取り戻せたのでもう一度テレビをつけた。
しかし先程のピックアップコーナーは既に終わっていて、華斑さんや江戸紫さんは画面から消えていた。
───実は、デビュー作で共演したり、その後も声優の私にとって大きな基点となるような作品の度に不思議と2人と一緒に仕事をすることが多かった。デビュー作でピカこのパートナー「もやし」を演じたのが華斑さん──みーさん、問題のラジオのゲストが江戸紫さん──くっさんだった。
加えて言うならば、私が人生初のオーディションに落ちて掴めなかった役、作品に2人がダブルヒロインで起用されていた。ちなみにその作品の名は『廻るまわるよマジカルガール』だ。
私はもう見たくなかった。優しくて真面目で努力を怠らない2人が第一線で活躍し続けるのは当たり前で、それは全く努力することが出来ない割に周りを見下すような私にとって、暴力以外の何者でもなかったから。人気声優として輝かしい姿を見る度に、私はおぞましい吐き気に襲われて身動きが取れなくなった。すごく近い場所で彼女らを見ていた私には、見た目も麗しい彼女らの努力が本物であることは誰よりも分かっている自信があるし、人気と実力が伴っていることは誰の目にも明らかだなと思ってもいる。
だから、私には眩しかった。そして、自分を省みた時、そこにはどす黒い””何か””しかなくて絶望しないではいられないのである。
<グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………
けたたましい轟音はどうやら私のお腹からだった。そういえば今日起きてから何も食べていない。それどころか最後に何かを食べたのは昨日のバイトの昼休憩中だから24時間は経っている。
私は仕方なく身体を前方に倒す歩き方で冷蔵庫の前に行き着き、扉を力なく開いた。
しかしそこには驚くほど何も無かった。完全なるからっぽ………ではないものの、およそ昼食を採れると言えるほどの物量は存在しない。
こんな酷い心身状態で外出しなければいけないなんて閻魔様もびっくりの地獄だよ。
私は逆に少し元気が出てきて、まずその辺に落ちていたゴムで髪をまとめた。