濃いめのレモンサワー
♢
私が最後に米を食べたのは、中学校の修学旅行の夕食だった。それ以来パン派として生きてきた私は、バイト中の何気ない会話で思わず不機嫌になってしまっていた。
「暁河原(あかつきがわら)さんはふりかけ派っすか?それとも何もかけない派?」
「あっ、えっ……えっと、なにもかけないかなぁ…ハハ…笑」
ちょっとイラッとしたのを取り繕う笑顔が、相手に伝わっていないことがもどかしかった。
他人の顔色を伺って、他人の評価を気にするようになってからこっち、すっかり板についたこの作り笑いも、マスクをすることが当たり前になった今ではあまり効果は発揮せず、むしろ自身に後味の悪いものを残すだけのものとなっていた。
さすがに悪いと思ったので、
「辰山郡(たつやまごおり)くんは?」
と聞き返しておいた。そしてその直後に明日見に行く映画のことを考えていた。
「おつかれさまでしたー」
私と辰山郡が一緒にあがると、私は一目散に帰りたかったのに隣の男が話しかけてきやがって、
「暁河原さんはちりめんバトルの映画見に行くの?」
「絶対見に行く♪ 私凧崎くん推しだから♡」
「あのさ、もしよかったらなんだけど───」
「あ、ごめん私早く帰らなきゃ。じゃあね〜辰山郡くん♪」
私はバイト先の店を出て、家とは反対方向に早歩きで向かいながら独り言を吐く。
「あいつなんなの、ほんと、調子に乗りやがって。ちょっとやさしくしたらつけ上がって映画にまで誘ってきやがって。確かにちりめんバトルは面白くて好きだよ?TVシリーズは2期までやってその後待望の映画化、初週映画ランキングでは2位とかなりの好打点を打ち上げたし、実際それは明日見に行くし。でも、お前と、なんか、行かねえよ!」
そういって落ちていた空き缶を蹴り上げたら、おじさんの頭に当たっちゃった。あっやべ。
───と思ったらなんだ。かたつむりさんじゃん。
今日はバイト終わりすぐにかたつむりさんと会う約束があった。本名?知らない。
「ごめーんかたつむりさんTT 痛かった?でもかたつむりさんやさしいから許してくれるよね?♡」
「いやあ全然構わないよ、なみちゃん。じゃあ早速、行こっか♡」
「もう♡がっつかないの、恥ずかしいなあ笑笑」
吐き気のする加齢臭を撒き散らしながら、その汚い腕で私の肩を抱きながら、2人でその建物に入っていく。
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目が覚めた時には既に朝10時を過ぎていた。
昨日かたつむりさんに貰ったお小遣いを、これまた昨日かたつむりさんに貰ったバッグに詰め込んでから身支度を整えた頃には12時が近くなっていたので。さすがに待ち合わせ相手に連絡を入れておくか。
『ごめ〜ん😭 ちょっと遅れるね泣』
私はタクシーに連絡をして、映画館に向かった。
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「いやあ。ちりめんバトル面白かったね。みさきちゃんは凧崎くん推しだったよね?いやあかっこよかったね、僕でもそう思ったよ」
映画の後にパスタを食べている時、目の前のおじさん(えーっと名前は確か……………………鞍試(くらためし)さんだったかな?娘さんと同じクラスだったはずだけど名前とか覚えてないし)は、何とか私の機嫌を取ろうと会話してくるけど、もうこいつとは会わないって決めたし今更どうでもいいので、
「もういい。私帰る。このあとバイトだし。」
とだけ言ってその場を後にした。少し経って振り返ると、私がひとくち手をつけただけのパスタを一心不乱に食べていた。キモ。
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「突然だけど、暁河原さんは何か闇の商売してないの?w 例えば転売みたいなw 人には言えない暗黒面とか実はない?あまりにも人が良すぎてついつい疑いたくなっちゃうんだよねw」
一瞬こいつなに言い出すの?と思って顔に出そうだったけどぐっと堪えた。バレた?バレてないよね?転売?あー焦った焦った。
でも確かに私はパパ活やってるけどそれってそんなに悪いこと?最近ネットニュースでパパ活女子が云々とか言ってるけど別に良くない?私はお金が貰えてハッピー。おじさん(そっか、パパだっけ笑)もかわいい女の子と一緒の時間が過ごせてハッピー。これってWin-Winの関係ってやつだよね?みんなが幸せになるならそれって素晴らしいことじゃん!
人に好かれるために見た目も話し方も目線とかも気を付けてるし、それでお金稼いだ上で、しかも普通のアルバイトまでしてるんだから私ってすごいじゃん!それの裏を探ろうとしてくるなんてこいつやっぱほんと嫌い!アニメの話は普通に興味深くて面白いけどそれ以外の全部が嫌い!変な質問でこっちの裏探ってこようとしてくるとことか!おじさんたちは全部褒めてくれるのに……
返答に困っていると、ちょうどよくお客さんに話しかけられたのでエスケープできた。それと同時ぐらいにそいつもほかの客に話しかけられてたみたいでその話はそれ以上続かなかった。
その後しばらくそいつとは喋らなかったけど、バイト上がりのタイミングが同じだったので喋らざるを得なかった。同じタイミングで辰山郡のやつがシフト入ってきたので3人で話すことに。
「辰山郡くんはちりめんバトル見に行くの?俺まだ行ってないんだよね」
「僕は見に行こうかまだ迷ってるんですよ。暁河原さんは?」
「私は次の土曜日バイトがお休みなので、その日に行こうと思っています♪虹田さんはいつ行かれるとか、予定はどうですか?」
「ッ!…俺はまだ決めてないけど……俺も明後日休みだし、明後日の土曜なら人多いけど広い方のシアターで見れるからそうしよっかな」
旨い具合に釣れて面白くなった私はつい笑みがこぼれる。普段ならこれに勘違いして堕ちない男はいないんだけど、やっぱりマスクがね……。
この年上の先輩である虹田に全部奢らせようとターゲットを絞った。辰山郡はまあ同い年だから話しやすいだけだしそれ以外にメリットないから一緒に映画見に行くとか(ヾノ・∀・`)ナイナイw
「暁河原さん大学生だから学生料金だよね、いいなあ俺も学生ならなあ……」
「私は早く大人になりたいですけどね!19歳なんて微妙な歳早く変わりたいです!」
「微妙な歳ねぇ… それをいうなら辰山郡くんはまだ18だっt───────」
「お疲れ様です。それでは仕事があるので」
辰山郡はわざとらしい音を立てながら扉を閉めて売り場に出ていった。
お店を出ると、かたつむりさん頭のような輝きを放つ、とてもとても綺麗な満月が浮かんでいて思わず
「月がきれいですね」
なんて言ってしまった。これは有名な作家の人が昔言ったなんか有名なセリフで、なんか思わせぶりな意味になっちゃうやつだった気がする。やばいこいつ無駄に歳食っててウザいから金蔓以外の目的なかったのに変な意味になっちゃうじゃん。私のバカ!
「月かあ…ほんとだね…」
みたいなよくわからない返事だった。辰山郡でももう少しまともな返事するのに。たぶんあいつなら
「暁河原さんと一緒に見るからだよ」
とかだと思うよ。うわやっぱキモいな。
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私が最初に””大人のドリンク””を飲んだのは14歳の時だった。みんなが観光地を巡っている中、私は現地の不良グループに連れられ、気付けば怪しげなバーにいた。制服で観光地を歩いていたら修学旅行だとひと目でわかる。そしてその男達は、””そういうこと””をしている常習犯だったらしい。
最初に運ばれてきたのは怪しげな飲み物。中身は””大人のドリンク””ということだった。味はよくわからなかった。
私は別に特に何も感じなかった。一緒に連れてこられた友達はずっと泣いていたけど、私は不思議と笑顔で男達と話していた。
腹は減っていないかと尋ねられたのでチャーハンが食べたいと言った。そのチャーハンがあまりにも不味かったので、まだ当時長かった髪を振り乱して言った。
「私たち、帰ります。」
普段遊んでるパパたち以外とは、できるだけ会わわないようにしている。高校生の時はそりゃいろんな人と会って人脈広げようとか思ったけど、知ってる人の方がリスク少ないし何度も会ってればそれだけこっちがめんどくさくなくて楽だから。だから今日みたいに、おじさん達以外とこんな風に会うのは本当に久しぶりだった。普段とは違って、今日は結構抑えめな服を着てきた。とりあえず2回目の映画だから寝ないように頑張らないといけないけど、とりあえず映画見るだけだからデートっぽくならないようにね… 別にあいつとはホテル行きたくないし。
なんてことを言っていると、向こうから走って大声を出してる奴がいた。
「ごめんちょっと遅れた!待った?」
「いいえ!全然!今来たとこです!」
恥ずかしいからやめてほしいなあ……ほんと。
だいたい女に待たせるなんてどうかしてない?おじさんたちなら30分前には絶対来てるのに!!もしかしてゆとり世代の弊害?こいつ確かギリギリゆとり世代とか言ってたから………えっと私より6つ上だったかな?小学校も被らないじゃん笑笑
「集合時間10分過ぎか、映画まであと5分だから行こっか」
「そうですね、行きましょう♪」
いちいちこんなやつの言動に腹を立てていてはキリがないし、そんなことをしていては一日持たない。というかもう既に帰りたくなってる。帰りにマンガ買って帰ろ。
ともかく映画が始まった。こないだも見たけどやっぱ普通に面白いなこの映画。前回は隣のおじさんが手握ってきて本当に嫌だったのでそこの記憶がすっぽり抜けていた。この先輩はそんなことはしなかったので今回はちゃんと映画を見れた。凧崎くんやっぱりかわいいな。
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こいつ本当に有り得ない。映画の料金を払わないしその後の食事代も出しやしない。私から言うのは違うからずっと待ってたのに「会計別々でいいよね?」とか言って先にしちゃったよ。なんなのこいつ?存在意義なさすぎなんですけど。ここでもう私は完全に怒ってしまった。
「もういいです。きょうはありがとうございました。さようなら」
そう言って早歩きでその場を去ろうとしたその瞬間だった。
「ところで暁河原さんは、水素結合って知ってる?プロトン化した水素原子が、非共有電子対に引っ張られて酸素や窒素などと作る弱い結合のことだよ。ところでそろそろ眠くなってきた頃じゃないかな?さっき食事の時に───────────」
急に男は口パクをし出したのでおかしいなと思ったら──────────────────
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──────ん?なんか聞こえる?
──────この曲は、プラチナカウンターの『YES MY 道路』だ。ちりめんバトルと同じ監督の初監督作品『僕の中の彼女はまだ僕に出会ってさえいない。』のEDで、オタクならみんな知ってる!という感じのやつだ。
──────そうか、ここカラオケか。
ここでようやく私は体を起こした。私の目の前のこいつは、私が起きたことにも気付かずにずっと歌い続けている。あ、もうすぐ間奏だ。
「おっ、起きたんだね暁河原さん。フリータイムで入っといたよ。」
「…」
「どんどん好きな曲入れてね?カラオケ代””は””僕が全部出すから。とはいえ僕が歌う曲7曲入れてるからその後ね」
なんなんですか?と問おうとしたらちょうど間奏が終わって歌い始めた。私の声は大サビの前のBメロにかき消された。
私は、よくここまで耐えたと思う。大して好きでもない男とこんなに時間を重ねて、お金をもらって楽しんでいた。でもそれは当たり前のことだと思っていたから。息を吸って吐くことのように、あるいは心臓の鼓動のようにごくごく当たり前にそれを遂行してきた。でも私は、私は。
ずっとそれが嫌で嫌でたまらなかった。
私は黙ったまま曲入れるやつを掴んでパパっとその辺のなんかの曲を適当に割り込みで入れた。
そして思いっきり叫んで歌った。
私は怒りのままに、お腹の底から叫んでいたから聞こえなかったはずなのに、この部屋にいるその男が
「やっと月が見えたよ」
と言った気がした。
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「なんかいい話風にいいますけど、虹田さん。あれ普通に犯罪ですよ?睡眠薬入れてカラオケに監禁ですからね!?」
「まあまあそんな一週間も前の話を……。あの時は何もしなかったんだから大目に見てよ。ちゃんとカラオケ楽しかったでしょ?」
「それはまあ……。久々に素に戻れたとは……確かに思いますけど……」
「ずっと無理してたでしょ?たぶん暁河原さんがやってることって、俺が想像するよりも遥かに大変なことだと思うんだよ。だから少しでも楽になればってね。そしてそろそろ自分に素直になってみればいいんじゃない?」
「何の話ですか?私はもうバレちゃってるから虹田さんには素で話しますけど、それも今みたいな二人しかいない時だけですし、ほかの人にはちゃんと媚び媚びで生きていきますよ」
私がそういうと、マスク越しでもわかるぐらいのニヤニヤ顔でこっちを見てきたので、さすがにキモくて目線を売り場にやると、こっちを見ている辰山郡がいた。
「気付いてるかわからないけど、暁河原さんが俺以外に対して直接名前呼んでるのって辰山郡くんだけだよ?」
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結局その日は眠れなかった。だってそんなわけなかったから。
私の記憶ではかたつむりさんの名前は呼んだ。付睫毛さんだって蔵人形さんだって、ほら名前はちゃんと知ってるし呼んだことあるもん。みんなおじさんたちだけど。いや確かにバイトの人達の名前ほかに覚えてないけど。
でも、辰山郡だけ呼んでる?え?ほんと?
でもただ名前呼んでるだけだよ?確かに私は人の名前なんて覚えないし顔も曖昧だし自分さえかわいければいいから周りのことなんて見えてるだけで視てないけど。
だからって何?辰山郡蝋燭(たつやまごおりろうそく)っていう名前を覚えているだけのことでしょ?それを特別扱いみたいに言うなんて、やっぱり虹田嫌い。くたばれ。
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昔から星を見るのは好きだった。小学生の頃、遥か星の彼方には王子様がいて、ある日私を迎えに来てくれるのだと信じていた。でも、実際に来たのは王子様ではなく、おじさまだった。私が初めてパパ活をしたのは、お母さんが「サンタさんなんて本当はいないのよ」と言った次の日だった。その日はとても綺麗に星々が見られる素晴らしい夜空だった。はじめてのおじさんの名前は覚えてないけど、その人が、星についてすごく楽しそうに雄弁に語っていたから、私はもう星に興味を示さなくなった。
「カラオケでも行かない?」
春休みが終わって少し経ったある日、虹田さんがそう切り出した。カラオケというワードに反応して私は虹田さんを睨んだが、虹田さんは辰山郡をみていた。
「いいですね。メンバーはどんな感じですか?」
辰山郡は乗り気みたいだ。
「そうだね、辰山郡くんと暁河原さん、それから洒落束(しゃれたば)さんと犬猫谷(かちくや)くんと常日頃さんぐらいは誘おうと思ってるかな」
洒落束来んの?洒落束さんは4月から公務員勤務が決まっているバリバリキャリアウーマン女。えー嫌だな。
「暁河原さんはどうっすか?予定とか大丈夫そうですか?」
「私は………………」
辰山郡に尋ねられ、高速で脳をフル回転させた。どう答えれば丸く収められて上手く断れるか。どうにかして誤魔化さなきゃ。
「犬猫谷くんはともかく常日頃さんまで来るとシフト大丈夫かな?店から誰もいなくなっちゃうよね……」
「大丈夫。なんとかするさ……」
突然横から常日頃(そんな名前だったんだこの人)が現れてかっこよさげな空気を出してまた去っていった。あの人実はまだ30いってないらしい。風格あり過ぎ……
「常日頃さんマジで男の中の男っス!さすが常日頃さん!」
「囃すな囃すな虹田湖助衛門(にじたこすけえもん)。俺のハートはいつだってクライマックスなんだよ……」
必ず語尾が……で終わるこの人は確かにかっこつけてはいるけどそんなにかっこよくない。男ってみんなこういうのが好きだよね。
とりあえずそのまま会話はなし崩し的に終わっちゃって、上手く断れずに終わってしまった。結局カラオケの具体的な日程が決まったのはそれから1週間ぐらい後で、実際にカラオケが開かれるのは2月になった。
普段なら断るけど、なんか虹田のやつに言われたことが気になるし、私は私のやりたいようにやって生きてやる。それを証明するためにも、ここは引かない。
こんなことに意固地になるなんて、なんか変な私。
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〈最近会えないね……学校とか忙しいのかな?テスト期間とか?〉
かたつむりさんからのメッセージは最近いつもこんな感じ。理由は明白で、私が最近パパ活してないからだ。
別に何が原因とかじゃない。なんか気が乗らないだけ。だから学校とバイト以外で人と会うのは、今日のカラオケがかなり久しぶり。
〈色々と忙しくなっちゃった…😭 また今度会おうね♡〉
とりあえず適当に返信して、そろそろ準備しなきゃ。
今日はとことん復讐してやる。ターゲットは辰山郡蝋燭と、虹田さん。虹田さんには少なからず感謝してる。少し許された気になったから。でもそれとこれとは話が別。あの辰山郡蝋燭なんか全然タイプじゃないし微塵も好きと思ったことがない。あんなやつに焚き付けられたから意識するというのも馬鹿らしいけど、私は絶対に””そんなことない””って証明してやるんだから。
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結局カラオケには、あの女は来なかった。えっと名前なんだっけ………………そう、洒落束。大学が忙しいらしい。
「というわけで、俺と常日頃さんと辰山郡くんと暁河原さんの4人でやることになりました。聞いてるとは思うけど、洒落束さんと犬猫谷くんは学校のことで忙しくてこれなくなったそうなので、この4人で!」
あ、そういえばもう一人いなかったんだっけ。
受付をして、指定された部屋番号【205】に入った瞬間辺りで、かっこよさげな人が、
「ちょっと電話かかってきた……。悪いけど先やっててくれ……。前ならえの先頭の奴みたいに、俺のことは気にするな……」
と言って店の外に行った。なんなのあの人。
「常日頃さん大丈夫かな、まあいいや。とりあえず俺から入れるね。みんなじゃんじゃん入れてね。とりあえず時計回りで行く?」
虹田さんはいつものように色々と仕切り始めてウザい。でも勝手に色々と決めてくれるのは楽だからとりあえずここは持ち上げとくか。
「じゃあ私飲み物取ってきますね。辰山郡くん一緒に行こ♪私が虹田さんの分もとるから、辰山郡くんは……常日頃さんの分も取って!」
今のはギリセーフだよね?常日頃さんの名前ギリギリ出た!セーフ!
「わ、わかったっ!よし、行こうか、暁河原さん」
部屋に独り残された虹田さんはお構い無しに楽しそうに歌っていたから、私は笑顔でドリンクを取りに行った。
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どれくらい歌ったか。
たぶん二時間ぐらい歌ったと思う。常日頃さんはまだ帰ってこない。虹田さんは途中で””大人のドリンク””を頼んで酔い潰れて寝ちゃってる。隣にいる辰山郡がチラチラこっち見ながら歌ってるのがめんどい。
「なんだか二人でカラオケに来てるみたいだね。」
ちょっと歌うのがめんどくさくなってきたので、辰山郡が歌い終わった直後にちょっと雑談でもしようかと切り出した。
「ハハ、そうだね……。虹田さん寝ちゃったし、常日頃さんは帰ってこないし。なんだかドキドキしちゃうな……」
うわ、なんか仕掛けてきてない?こいつ。チャンスとか思っちゃってんの?いるいるこういうやつ。
でも私もなんだか変なテンションになってきちゃってたから、
「どれぐらいドキドキしてる?」
と言って胸あたりに手を当ててみた。こんなことするのも久しぶりだな。
「あ、暁河原さんっ! そんなっ……///」
何その反応。童貞過ぎて笑う笑笑
「なに?顔紅いよ……?」
「き、気の所為だと思うよ……///」
「気の所為?なにが?」
「あの……その…………………………………………いや。」
目の前の男は、何かを決意したようにこちらの目をじっと見て、姿勢を正して仕切り直した。
「あなたのことが好きだからです。このドキドキは、そのせいです。」
こっちが笑っちゃうぐらい恥ずかしいセリフを大真面目な顔で言っちゃってて本当に面白かった。
うん。面白かったんだ。
私、ちっともドキドキしなかったんだ。
「そっか〜、でもごめんね、私ほかに好きな人がいるんだ。」
そう言ってその男から目を逸らした。そこには虹田さんが寝ていた。
「そ、そ、そうなんだ……そうだよね……ハハ、ごめんね急になんか、ちょっとトイレ行ってくるね」
急いでトイレに駆け込んで行ったその背中は、なんだか懐かしくて、初めて飲んだ””大人のドリンク””の味を思い出していた。それと同時になんとも言えない、なんとでも言えそうな感情がグルグル渦巻いていた。
それから少し経って、私はボソッと口を開く。
「なんで断っちゃったかなあ……」
「ほんと、なんで?びっくりしたわ」
突然の声にびっくりしてそっちを向くと、虹田さんがこちらを見ていた。え、何?もしかして────
「いや辰山郡くんマジで頑張ったね。寝ている───いや寝ているふりだけど───とはいえ俺がいる前で告白とはね。ウブでかわいい告白じゃないかい。なんで断ったの?胸に手を当てたりしていい雰囲気だったじゃないの」
うわ……こいつ寝たふりした全部見てやがったのか……気持ち悪いな…………。
「ほんっと最悪!何なの!?私の何が分かるって言うの!?」
叫んでみてようやく分かった。私は怒っていたのだ。なんでか分からないけど、怒っていたんだ。
──────誰に?何に?
「私は私のやりたいようにやる!!あんたなんて嫌い!もう本当に嫌!」
「そんなに?」
「当たり前!!こんな思いまでしてるのに、嫌いじゃないなわけないでしょ!?」
「じゃあ……」
本当に大っ嫌いでたまらないその虹田は、一口グラスに注がれているドリンクを飲んでから続けた。
「じゃあ、なんで出ていかないの?」
「……え?」
え?何を言ってるの?
「嫌なら出ていけばいいじゃん。今までそうしてきたんじゃない?優しいおじさんばっかりじゃなかったでしょ?」
「だから分かったような口をきかないで!私がしたいようにしてるだけ!」
「じゃあこの部屋から出たくないってことか。それはどうしてかな?」
「ニヤニヤしないで!ムカつく!」
もう虹田が何を言っていて、自分が何を返しているのかよく分からないほど頭がこんがらかっている。なんでニヤニヤしてるのこいつ!本当にムカつく!!
「まあまあこれでも飲んで頭冷やしなよ。辰山郡くん帰ってくるよ?」
「帰ってこないよ!知らないけど(ゴクッ」
出されてそのまま飲んじゃったけどこれ””大人のドリンク””で、しかも間接……
「あれ?これどっかで……いややっぱりあの時飲んだやつだ。」
「未成年なのに飲んだことあるのw?悪い子だね、暁河原さんはww」
「どうせ私は悪い子ですよ。ふーんだ」
私は怒っていた。怒って””いた””。つまりもう、不思議と怒っていなかった。
「これ、初めて飲んだ時と同じ味。これなんてやつ?」
「いいね、その言い回し。なんか気に入ったよ」
「質問に答えてよ。」
「いいけどその前に聞いて」
「何?」
「好きだよ。付き合ってくれない?」
「……いいよ」
「ありがとう。これはね、濃いめのレモンサワー」
───────────────────────
夜もすっかり更けていて、これからが大人の時間だっていう懐かしい温度と風が心地よかった。
結局そろそろお開きにする?って空気になった時に常日頃さんは帰ってきた。辰山郡はその少し前に帰ってきた。トイレ長。
「じゃあこの辺りでお開きにしますか。」
こすけっちがそう言うと、それからみんな散り散りになった。辰山郡ってあんなに小さかったっけ?ってぐらい肩を落として歩いてた。悪いことしたね。
そして道を右折、また右折、そしてその後右折して元の場所に戻ってきたら、ちょうどこすけっちも戻ってきたタイミングだった。
え?誰かだって?虹田湖助衛門だからこすけっち。かわいくない?
「二次会、どうする?」
「タクシー捕まえよ。こすけっちの家でいいよね?」
「そうそう言わなきゃいけないことがあるんだよ」
「何?」
「俺、童貞だけど大丈夫?」
私ほんと、こすけっちのこと大嫌い。